法政大学入試問題解説

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法政大学受験過去問研究

法政大学日本史過去問研究


法政大学2010年度法(法律、政治),国際文化(国際文化),キャリアデザイン(キャリアデザイン)日本史入試問題は1.古代〜近世の仏教文化 2.通史(征夷大将軍) 3.史料問題(『折たく柴の記』) 4.近代〜現代の政治史が出題されました。今回は3 史料問題を解説します。




問題「V]

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史料解説


折たく柴の記』:新井白石がその子孫に、祖先および自分自身の事績を知らせるとともに、主君の6代徳川将軍家宣、7代家継の善政をも認識させ、後世にもそれを正しく伝えさせようとの意図のもとに、幕府引退後まもない時期、1716年(享保1)に執筆したもの。藩翰譜作成のいきさつも記載されている。現存自筆本(新井家)はその後も増補したものと思われる。3巻からなり、上巻には祖父、父母、白石自身の事績(家宣の将軍世継時代まで)を記し、中巻には自らが側用人間部詮房とともに献身的に補佐した6代家宣の政治的業績を、下巻には幼君7代家継時代のそれを記述している。

出題史料は「荻原重秀の貨幣改鋳献策」
「今、重秀が議り申す所は、『御料すべて四百万石、歳々に納めらるる所の金は凡七十六万両余、此内、長崎の運上というもの六万両、酒運上というもの六千両、これら近江守(荻原重秀)申し行ひし所也。此内、夏冬御給金の料三十万料余を除く外、余る所は四十六七万両余也。しかるに去歳の国用、凡金百四十万両に及べり。此外に内裏を造りまいらせらるる所の料、凡金七八十万両を用ひらるべし。されば今国財の足らざる所、凡百七八十万両に余れり。たとひ大喪の御事なしといふとも、今より後、取用ひらるべき国財はあらず。いはんや、当時の急務御中陰の御法事料、御霊屋作らるべき料、将軍宣下の儀行はるべき料、本城に御わたましの料、此外、内裏造りまゐらせらるべき所の料なり。しかるに、只今、御蔵にある所の金、わづかに三十七万両にすぎず。此内、二十四万両は、去年の春、武相駿三州の地の灰砂を除くべき役を諸国に課せて、凡そ百石の地より金弐両を徴れしところ凡そ四十万両の内、十六万両をもて其の用に充てられ、其の余分をば城北の御所造らるべき料に残し置かれし所なり。これより外に、国用に充らるるべからず』といふなり。前代の御時、歳ごとに其出るところの入る所に倍増して、国財すでにつまづきしを以て元禄八年の九月より金銀の製を改造らる。これより此かた、歳々に収められし所の公利、総計金凡五百万両、これを以てつねにその足らざる所を補ひしに、おなじき十六年の冬、大地震によりて傾き壊れし所々を修治せらるるに至て、彼歳々に収められし所の公利も忽につきぬ。

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問1解説解答
解説
今、重秀が議り申す所は、『御料すべて四百万石、歳々に納めらるる所の金は凡七十六万両余、此内、長崎の運上というもの六万両、酒運上というもの六千両、これら近江守(荻原重秀)申し行ひし所也。
元禄期の経済政策:徳川綱吉の時代に幕府は財政難に直面した。金銀の産出量や貿易収入が激減し、天領からの年貢収入も増えなかった。一方明暦の大火後の江戸の復興や綱吉,生母の大寺院造営、贅沢も財政支出増大の要因となった。綱吉は幕府勘定所機構を強化して財政の立て直しを図り、勘定吟味役荻原重秀の意見に基づいて慶長金銀を改鋳し、低質の元禄金銀を発行しその差益を幕府の収入とした。
答     5

問2解説解答 
解説
荻原重秀の勘定奉行在職は1696年 〜 1712年、重秀の在職した元禄年間までは勘定頭とも称した。勘定方の最高責任者で財政や天領支配、関八州内江戸府外の訴訟について担当した。定員は約4人で役高は3000石。

答 1


問3解説解答

解説
今、重秀が議り申す所は、『御料すべて四百万石、
御料:江戸幕府の直轄領。織豊時代の徳川氏の蔵入地に関ヶ原の戦い、大坂の役などでの没収地を加えて、17世紀末には約400万石となった。直轄地の中には、江戸・大坂・京都の三都をはじめ長崎・堺などの重要都市、佐渡・石見・伊豆などの鉱山があった。

答 4


問4解説解答

解説
此内、長崎の(ア)運上というもの六万両、酒(ア)運上というもの六千両、これら近江守(荻原重秀)申し行ひし所也。此内、夏冬御給金の料三十万料余を除く外、余る所は四十六七万両余也。しかるに去歳の国用、凡金百四十万両に及べり。此外に(イ)内裏を造りまいらせらるる所の料、凡金七八十万両を用ひらるべし。されば今国財の足らざる所、凡百七八十万両に余れり。たとひ大喪の御事なしといふとも、今より後、取用ひらるべき国財はあらず。いはんや、当時の急務御中陰の御法事料、御霊屋作らるべき料、将軍宣下の儀行はるべき料、本城に御わたましの料、此外、内裏造りまゐらせらるべき所の料なり。しかるに、只今、御蔵にある所の金、わづかに三十七万両にすぎず。此内、二十四万両は、去年の春、武相駿三州の地の灰砂を除くべき役を諸国に課せて、凡そ百石の地より金弐両を徴れしところ凡そ四十万両の内、十六万両をもて其の用に充てられ、其の余分をば城北の御所造らるべき料に残し置かれし所なり。これより外に、国用に充らるるべからず』といふなり。前代の御時、歳ごとに其出るところの入る所に倍増して、国財すでにつまづきしを以て(ウ)元禄八年の九月より金銀の製を改造らる。

(ア)長崎の運上:江戸幕府が長崎貿易を独占した長崎会所に課した運上金。

(イ)内裏を造りまいらせらるる:宝永5(1708)年3月京都中心部のほとんどが焼失する大火災がおきた(宝永の大火)。

(ウ)元禄八年の九月より金銀の製を改造らる。:勘定吟味役荻原重秀の意見に基づいて良否角慶長金銀を改鋳して、低質の元禄金銀を発行した

答   ア 5   イ 8  ウ 12


問5 解説解答

解説
a御料すべて四百万石
a御料:江戸幕府の直轄領。織豊時代の徳川氏の蔵入地に関ヶ原の戦い、大坂の役などでの没収地を加えて、17世紀末には約400万石となった。直轄地の中には、江戸・大坂・京都の三都をはじめ長崎・堺などの重要都市、佐渡・石見・伊豆などの鉱山があった。
天領:明治初期に旧幕府直轄領が天皇の御料(直轄領)になったときに天領と呼ばれるようになったため、さかのぼって幕府時代のものも天領と呼ぶようになった。

答    3


問6解説解答

解説
夏冬b御給金の料三十万料余;武士が主君から貰う給料の中の扶持米。「禄」を米で現物支給されること。知行地を持たぬ、下級旗本や御家人が与えられるもの。年三回の分割支給で、例えば春(2月)に25%、夏(9月)に25%、冬(10月)に残りの50%を貰う。分割されたことから「切米(きりまい)」ともよばれる。

答    4


問7解説解答

解説
c前代の御時、歳ごとに其出るところの入る所に倍増して、国財すでにつまづきしを以て元禄八年の九月より金銀の製を改造らる。
前代: 新井白石が仕えた主君6代徳川将軍家宣、7代家継の前代の元禄期の将軍 徳川綱吉。
5. 家光は第2代将軍・徳川秀忠の長男3代将軍、2.家綱は第3代将軍・徳川家光の長男4代将軍。

答    1


問8解説解答

解説
前代の御時、歳ごとに其出るところの入る所に倍増して、国財すでにつまづきしを以て元禄八年の九月よりd金銀の製を改造らる。これより此かた、歳々に収められし所の公利、総計金凡五百万両、これを以てつねにその足らざる所を補ひしに、おなじき十六年の冬、大地震によりて傾き壊れし所々を修治せらるるに至て、彼歳々に収められし所の公利も忽につきぬ。

元禄8年(1695)の貨幣改鋳
元禄小判:大きさと量目は慶長小判と同じで、品位は約57%(慶長小判の3分の2)
銀貨の品位も80%から64%に落とされた。
元禄16年(1703)南関東大地震により出費がかさんだため、一時立ち直った幕府財政も再び逼迫するようになった。
答      2
 


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