法政大学入試問題解説

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法政大学受験過去問研究

法政大学世界史過去問研究


法政大学2013年度法(法律、政治),国際文化(国際文化),キャリアデザイン(キャリアデザイン)世界史入試問題は例年通り大問3大題構成で 1.5世紀から13世紀にかけてのヨーロッパ疾病史 2.第二次世界大戦以降の国際社会(史料問題) 3.王安石の新法が出題されました。今回は2.第二次世界大戦以降の国際社会(史料問題)を解説します。




問題「2]

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問1解説解答

史料ア:合衆国はギリシャ政府から財政的・経済的支援を求める緊急要請を受け取った。民主主義ギリシアが頼れるのは合衆国を除いて他にない。自体は直ちに行動を要する緊急なものである。そして国連とその関係機関はこの種の援助を行う立場にはない。
問1この演説を行った大統領は誰か。語群Bから選び、その記号を解答欄にマークせよ。
解説
史料は1947年3月アメリカ大統領トルーマンが上下両院合同会議に特別教書として示した宣言:トルーマンドクトリン
 ギリシャでは対戦末期、共産党系ゲリラ組織がドイツへの抵抗運動を展開したが、ドイツ軍撤退後はイギリス軍が上陸しゲリラ組織は武装解除させられた。しかし戦後ゲリラ活動はスラブ系住民とも結びついて活発化し、イギリス軍の撤退を控えて共産化の器具が指摘された。トルーマンは、もしギリシャとトルコが必要とする援助を受けなければヨーロッパの各地で共産主義のドミノ現象が起こるだろうと主張し、トルコとギリシャへの軍事と経済援助で4億ドルを与えた。
答 12(トルーマン)  

問2解説解答

問2 この演説ではギリシャ以外にもう一カ国への支援について触れられている。その国を語群Aから選び、その記号を解答欄にマークせよ
解説
大戦後のトルコでは、、ボスポラス・ダーダネルス両海峡の管理を巡る問題が発生した。両海峡は1936年11月以来モントルー条約に則って管理されてきたが、1946年中に改訂することがポツダム会談で合意されていた。これを受けて1946年8月7日、ソ連はトルコに覚書を送付し、黒海沿岸諸国の軍艦の自由航行やソ連の軍事基地建設を前提とするソ連・トルコの海峡共同防衛などを提案した。トルコはこれに反発、米英もトルコに同調した。

答 13(トルコ)

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問3解説解答
解説
a:世界人権宣言第一条
b:1946年3月5日、イギリスの前首相チャーチルが、米国ミズーリ州フルトンで行った演説の一節

c:マーシャルに対し、第二次世界戦時中にマーシャルが成した功績を顕彰して法学博士の名誉学位をハーヴァード大学が授与した際の記念講演の内容。この講演でマーシャルは、欧州援助計画の構想を初めて公にした。

d:1992年にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催された環境と開発に関する国際連合会議(UNCED)において合意された27原則から成るリオ宣言の第一原則

答  C
問4解説解答 
問4 この史料にある「両国」の国名を語群Aから二つ選び、その記号を解答欄にマークせよ。
解説
史料イ=大西洋憲章:第二次世界大戦中の1941年にアメリカ合衆国大統領F.ローズヴェルトとイギリス首相チャーチルとが大西洋上で会談した結果、両国が発表した宣言。対戦並びに大戦後の重要問題についての共通見解をまとめたもの。

答   1(アメリカ) 2(イギリス)


問5解説解答

問5 「両国」の代表者はそれぞれ誰であったか。語群Bから二つ選び、その記号を解答欄にマークせよ。
解説
史料イ=大西洋憲章:第二次世界大戦中の1941年にアメリカ合衆国大統領F.ローズヴェルトとイギリス首相チャーチルとが大西洋上で会談した結果、両国が発表した宣言。対戦並びに大戦後の重要問題についての共通見解をまとめたもの。
F.ローズヴェルト:民主党出身の第32代大統領(1933年 - 1945年)。世界恐慌、第二次世界大戦時のアメリカ大統領であり、ニューディール政策と第二次世界大戦への参戦による戦時経済はアメリカ合衆国経済を世界恐慌のどん底から回復させたと評価される。

ウィンストン・チャーチル:イギリス首相(1940年-1945年)イギリス軍は戦時中にアジアやアフリカでドイツ軍や日本軍に惨敗して威信を傷つけられることが多く、植民地での反英闘争激化を招いた。その結果、イギリスは戦後に植民地のほぼ全てを失うこととなり、世界一の大国の座を失った。


答  9(チャーチル)    18(ローズヴェルト)


問6解説解答

解説
e:ヨーロッパ経済共同体(EEC)

ベルギー、フランス、ドイツ、イタリア、ルクセンブルク、オランダとの間での経済統合を実現することを目的として1957年に設立された国際機関。その後6か国が加わり、また1967年には機関が欧州石炭鉄鋼共同体と欧州原子力共同体とのあいだで統合され、欧州諸共同体と呼ばれる体制に移行した。1993年に欧州連合が発足したさい、欧州経済共同体は欧州連合の3本柱構造における第1の柱である欧州共同体とされたが、2009年のリスボン条約の発効によって廃止された。


答   e


問7・8解説解答

問7 下線部の「あの孤立した島」は、具体的にどの国を指すか。語群Aから選び、その記号を解答欄にマークせよ。

問8 この演説を行ったアメリカ大統領は誰か。語群Bから選び、その記号を解答欄にマークせよ。

解説
史料ウ:アメリカのキューバ侵攻計画を警戒してキューバがソビエト製ミサイル基地建設を進めたことはアメリカに驚異を与え、ケネディ大統領はその撤去を要求してキューバの海域を封鎖したので、米ソは衝突の危機を迎えた。

答   問7 ー7(キューバ)  問8 ー4(ケネディ)


問9解説解答

問9 この演説が示す国際的な事件の結果として、アメリカ合衆国はどのような行為をとったか。次のa〜eのうち最も適当なものを一つ選び、その記号を解答欄にマークせよ。
a サミット(先進国首脳会議)の開催
b ソヴィエト連邦との間の直通回線の設置
c 黒人差別の撤廃を目指す公民権法の成立
d ソヴィエト連邦との戦略兵器削減交渉の開始
e ベトナム戦争への本格的な介入
解説
ホットライン:ワシントンとモスクワとを結ぶ通信手段。キューバ危機と反省を元に1963年に初めて米ソ両首脳間の直通電信が設置された。事故や誤認による戦争発生の防止を目指した。

答    b


問10解説解答

問10 この声明が出された第一回アジア・アフリカ会議が開かれた国はどこか。語群Aから選び、その記号を解答欄にマークせよ。
解説
アジア・アフリカ会議:アジア・アフリカの29か国がインドネシアのバンドンの集結して1955年に開いた会議。通称バンドン会議と言う。米ソのいずれのも属さない非同盟中立の立場をとり、植民地主義反対と平和共存を訴える平和十原則を採択した。第2回はアルジェリアの予定がクーデターで開催されず、1961年の非同盟諸国首脳会議に引き継がれることになった。

答   5(インドネシア)


問11解説解答

問11 つぎのa〜eのうち、下線部の「これらの原則」に含まれないものはどれか。最も適当なものを一つ選び、その記号を解答欄にマークせよ。

a 基本的人権の尊重
b 持続可能な開発の推進
c 国家の主権と領土保全の尊重
d すべての人種および諸国民の平等
e 平和的手段による国際紛争の解決
解説
【平和十原則】:1955年、バンドンにおけるアジア‐アフリカ会議で決議された「世界平和と協力の推進に関する宣言」中に掲げられた世界平和のための10の原則。
(1)基本的人権と国連憲章の尊重
(2)国家主権、領土保全の尊重
(3)人種、諸国家の平等
(4)内政不干渉
(5)国連憲章に従い諸国民が個別的、集団的に自国を防衛する権利の尊重
(6)集団的防衛機構を大国の特定の利益に用いず、他国に圧力をかけない
(7)領土保全、政治的独立への侵略、脅迫、力の行使をしない
(8)国際紛争は国連憲章に従い、関係国が選択する平和的手段で解決
(9)共通の利益と協力の増進
(10)正義と国際的義務の尊重

答     b 持続可能な開発の推進

問12解説解答

問12 アジア・アフリカ会議は、冷戦の中で東西どちらの陣営にも属さない第三勢力の形成を目指した動きの一つである。第三勢力の形成と変容に関わる次のa〜eの事項のうち、第一回アジア・アフリカ会議より前に行われたものを一つ選び、その記号をマークせよ。

a第一回非同盟諸国首脳会議 

b アフリカ統一機構(OAU)の結成 

c 平和五原則の発表 

d 中印国境紛争 

e カストロが指導したキューバ革命
解説
c 平和五原則の発表:1954年のネルー・周恩来会談における合意。@領土主権の相互尊重 A相互不可侵 B内政不干渉 C互恵平等 D平和共存の五項目を内容とする。平和十原則はこの平和五原則を発展させ、あらたに国連憲章の尊重や人種・国民の同権、大国主義の抑制などを加え、十原則となった。

答   c

問13解説解答

問13 史料中の(A)に入る人物は誰か。語群Bから選び、その記号を解答欄にマークせよ。
問14 この批判を行った人物はだれか。語群Bから選び、その記号を解答欄にマークせよ。
解説
スターリン批判:ソ連共産党第20回大会が行ったスターリンの政策への反省・批判。第一書記フルシチョフが問題提起し、独裁(粛正・個人崇拝)や独ソ開戦・ユーゴスラビア離反・少数民族など諸問題への政策的誤りを指摘した。

答  問13ー 8(スターリン)  問14ー13(フルシチョフ)

問15解説解答

問15 次のa〜eのうち、この批判の前後で「ある国」が行った政策として適当でないものを一つ選び、その記号を解答欄にマークせよ。

a コミンフォルムの解散 

b ユーゴスラビアとの和解 

c ハンガリーの社会主義体制からの離脱を容認 

d 社会主義国と資本主義国の平和共存 

e 米英仏の首脳とジュネーブで会談
解説
ハンガリー動乱:1956年10月ソ連のスターリン批判やポーランド反ソ暴動に刺激されて起こった動乱。ソ連軍が介入、ワルシャワ条約機構脱退、国連保護などを表明したナジ政権は倒され、カダル新政権を成立させた。

答   c

問16解説解答

問16 第二次世界大戦後の国際政治の変化を念願におきながら、史料ア〜オの出来事を古い順に並べた場合、(1)2番目に古い史料と、(2)最も新しい史料はどれか。つぎのa〜cのうち、それぞれに該当するものの記号を解答欄にマークせよ。

a 史料ア

b 史料イ

c 史料ウ

d 史料エ

e 史料オ
解説
史料ア:1947年3月アメリカ大統領トルーマンが上下両院合同会議に特別教書として示した宣言
史料イ:大西洋憲章(1941年)
史料ウ:キューバ危機に際してのケネディ大統領の演説(1962年)
史料エ:平和十原則(1955年)
史料オ::スターリン批判(1956年)

答  (1)a   (2)c


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