都立高校共通考査問題傾向と対策
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都立高校合格のための過去問傾向と対策

東京都立高等学校社会過去問研究

東京都立の公立中高一貫校10校のうち、併設型の高等学校・附属中学校として設置されていた5校のうち、武蔵・富士・両国・大泉の4校が、2022年までに高校募集を停止し、中学募集の規模を拡大する計画が、2019年年2月14日付けで東京都教育委員会から「都立高校改革推進計画・新実施計画(第二次)」でプレスリリースされました。

この年次計画の表中では、「2021年度入学生から」の改編予定に、富士と武蔵、翌「2022年度入学生から」の改編予定に、両国、大泉の2校が挙げられており、欄外の注記の形で、「※白鷗高校・附属中学校については、施設設備の状況を踏まえて実施時期を決定(実施時期:平成33(2021)年度以降を予定)と付記されています。

2021年には、都立富士と都立武蔵が募集停止し、2022年には都立両国と都立大泉の各附属中学校が高校募集を停止し完全中高一貫校になりました。

2022年度都立高校社会入試問題は、例年通りの大問6題構成でした。

今回は4.を解説します。東京都教育委員会の出題の方針は4.「世界の歴史を背景にした我が国の歴史について,年表等の資料を活用して,政治, 経済及び文化等の面から考察する能力をみる。」でした。 



 

東京都立高校2022年度社会入試問題4.日本史分野 問題







                                  

東京都立高校2022年度社会入試問題4.日本史分野 問1解説解答

[問1] 財政基盤を固めるため、土地の面積を元に税を徴収するなどの政策を行ってきた。あるが、次のア~エは、権力者が財政基盤を固める単に行った政策の様子について述べたものである。時期の古いものから順に記号を並べよ。

ア 朝廷は、人口増加に伴う土地不足に対応するため墾田永年資材法を制定し、新しく開墾した土地であれば永久に私有地とすることを認めた。

イ 朝廷は、財政基盤を強化するため、摂関政治を主導した有力貴族や自社に集中していた荘園を整理するとともに、大きさの異なる桝の統一を図った。

ウ 朝廷は、元号を建武に改め、天皇中心の政治を推進するため、全国の田畑について調査させ、年貢などの一部を徴収し貢納させた。

エ 二度にわたる元軍の襲来を退けた幕府は、租税を全国に課すため諸国の守護に対して電池面積や領有関係などを記した文書の提出を命じた。

解説解答

ア 墾田永年私財法 奈良時代聖武天皇によって発布された。墾田永年私財法により、公地公民制が崩壊し荘園制が誕生することになった。

イ 荘園整理令 平安時代に発布された一連の法令。特に後三条天皇は延久の荘園整理令を発令し、大きさの異なる桝を宣旨枡に統一させた。

ウ 建武の新政 鎌倉幕府を倒し、後醍醐天皇自らが政治を行うこと目指した。数年で瓦解し南北朝の動乱期にはいる。

エ 元寇 鎌倉時代中期にモンゴル帝国およびその属国である高麗によって2度にわたり行われた対日本侵攻。1度目は文永の役 2度目は弘安の役。

時期の古いものから 奈良時代→平安時代→鎌倉時代→南北朝時代


答 ア イ エ ウ

東京都立高校2022年度社会入試問題4.日本史分野 問2.解説解答

[問2] 地域により異なっていた長さや面積などの基準が統一された。とあるが、次のⅠの略年表は、室町時代から江戸時代にかけての、政治に関する主な出来事についてまとめたものである。Ⅱの文章は、ある人物が示した見地における実地命令書の一部をわかりやすく書き改めたものである。Ⅱの文章が出された時期に当てはまるのは、Ⅰの略年表中のア~エの時期のうちではどれか。



解説解答

Ⅱは太閤検地(天正の石直し)。豊臣秀吉がこれまでの貫高制を改め石高制を採用したこと。室マch氏時代には貨幣流通が進み、年貢なども銭納制を採用することが多かった(貫高または永高)。豊臣秀吉は貢租などを現物納に改め、知行制も石高制を採用した。

時期は 信長が本能寺で倒されてから関ヶ原の戦いで徳川家康が全国支配の実権を握る間。


答  イ


東京都立高校2022年度社会入試問題4.日本史分野 問3解説解答

[問3] 江戸時代に入ると、天文学や数学なども発展を遂げ、明治時代以降、我が国の科学技術の研究水準も向上し、独自の計測技術も開発されるようになった。とあるが、次のア~エは、江戸時代から昭和時代にかけての我が国独自の計測技術について述べたものである。時期の古いものから順に記号を並べよ。

ア 後にレーダー技術に応用される超短波式アンテナが開発された頃、わが国最初の常設映画館が開館した浅草と、上野との間で地下鉄の運航が開始された。

イ 正確な暦を作るために浅草に天文台が設置された後、寛政の改革の一環として、幕府直轄の祥平坂学問所や薬の調合などを行う医官養成機関の医学館が設立された。

ウ 西洋時計と和時計の技術を生かして、時計や曜日等を指し示す機能を有する万年自鳴鐘が開発された頃、黒船来航に備えて台場に砲台を築造するため、水深の計測が実施された。

エ 中部地方で発生した地震の研究に基づいて大森式地震計が開発された頃、日英同盟の締結を契機に、イギリスの無線技術をもとにした無線電信気が開発された。

解説解答

ア 日本初の地下鉄開通は1927年昭和2年。

イ 寛政の改革は江戸時代中期、松平定信が老中在任中に主導して行われた幕政改革。

ウ 黒船来航は江戸末期。江戸幕府はペリー来航に備えて品川沖に砲台の設置を計画し伊豆韮山代官江川太郎左衛門英龍に命じた。

エ 日英同盟は ロシア帝国の極東進出政策への対抗を目的として、1902年明治35年に締結された。

時期の古いものから 江戸中期→江戸末期→明治→昭和


答  イ  ウ  エ  ア


東京都立高校2022年度社会入試問題4.日本史分野 問4解説解答

[問4] 環境問題などの解決のために生かされてきた。とあるが、次のⅠのグラフは、1965年から2013年までの、東京のある地点から富士山が見えた日数と大気汚染の一因となる二酸化硫黄の東京における濃度の変化を示したものである。Ⅱの文章は、Ⅰのグラフのア~エのいずれかの時期における国際情勢と、我が国や東京の環境対策などのについてまとめたものである。Ⅱの文章で述べている時期に当てはまるのは、Ⅰのグラフのア~エの時期のうちではどれか。



解説解答

この時期には、Ⅰのグラフの観測地点から平均して週1回は富士山を見ることができた。1年52週なので、グラフの時期のイ・ウ・エ・
東西ドイツが統一されたのは1990年。内閣総理大臣は海部俊樹。

長野冬季オリンピックの開催は1998年。当時の横綱曙が土俵入りをした。内閣総理大臣は橋本龍太郎(第二次)

京都議定書は1997年。内閣総理大臣は橋本龍太郎(第二次) 


答 ウ


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