慶應義塾大学文部日本史入試問題解説

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慶應義塾大学文学部2012年度入試問題研究 

慶應義塾大学文学部過去問研究

日本史入試問題は史料問題を中心に解説していきましょう。日本史史料は参考書・史料集にのせられていない史料も多く出題されています。とくに難関大学の受験合格には史料問題対策は欠かせません。

2012年度慶應義塾大学文学部日本史入試問題は、例年通りの出題構成で、Ⅰ.Ⅱ 記号選択式 Ⅲ.語句述式 Ⅳ.Ⅴ.史料総合でした。

出題内容も例年通り古代から 近代までの各時代からの出題でした。

Ⅰ.古代 Ⅱ.江戸 Ⅲ.室町 Ⅳ.平安初期の史料問題(90字論述含む) Ⅴ.明治時代の史料問題(120字論述含む) から 今回は Ⅴ 明治時代の史料問題(日清戦争後の外交)を解説します。

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問題Ⅴ


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史料解説

明治廿八年五月廿五日[印]

 朝鮮問題に就き、将来我が政府の執るべき政略は、速に決定するの必要あるに付、在東京内閣大臣ここに別紙の通り決議したり。

(別紙)

 日本国が清国に対し干戈を交へたるは、朝鮮をして彼の有害なりと認めたる清国の抑圧を脱せしんめんとの希望に起因す。しかして該希望たるや、已に下関条約の締結に依り、全くこれを達するを得たり。
 朝鮮の独立を将来に永続せしむることは、各国一般の利害に関係することなり。因て帝国政府はその独立を維持することに付、単独に責務を負うを必要と認めず。故に日本国政府は、利害関係ある他の諸国と協力して、朝鮮の事態を改善することを以て目的となすところの処置に協同して差支えなきことを表言すると同時に、帝国政府においては、将来日本国と朝鮮との関係は、これを条約上の権利に基かしむるの意なることを言明す。

解説
日清戦争後1895年(明治28)日清戦争後直後も政争が続く朝鮮問題処理を、5月25日閣議決定した。

内容は 

①朝鮮の独立を将来に永続せしむることは、各国一般の利害に関係することなり。因て帝国政府はその独立を維持することに付、単独に責務を負うを必要と認めず。(朝鮮の独立は各国も利害あることであり、その維持を帝国政府が単独で責務を負う必要を認めない。)
②日本国政府は、利害関係ある他の諸国と協力して、朝鮮の事態を改善することを以て目的となすところの処置に協同して差支えなきこと(利害の関係ある他の諸国と協力して朝鮮国の事態を改善する処置に協同することは差し支えない。)
③帝国政府においては、将来日本国と朝鮮との関係は、これを条約上の権利に基かしむるの意なること(日本国と朝鮮国との関係は、条約上の権利に基づくものとする。)

問1 解説解答

問1 (A)にふさわしい数字を記しなさい。

明治(A)年五月廿五日[印]

 (B)問題に就き、将来我が政府の執るべき政略は、速に決定するの必要あるに付、在東京内閣大臣ここに別紙の通り決議したり。

解説
問2 (B)はこの2年後に国号を改めた。その改めた国号を記しなさい。 より 朝鮮は 日清戦争(1894年-1895年)の清の敗北を受けて締結された下関条約により、朝鮮は清の冊封体制から離脱し、1897年(明治30年)朝鮮国から大韓帝国と国号を改めたので、(A)は1897年(明治30年)の2年前 明治28年

答   28

問2 解説解答

問2 (B)はこの2年後に国号を改めた。その改めた国号を記しなさい。
(B)問題に就き、将来我が政府の執るべき政略は、速に決定するの必要あるに付、在東京内閣大臣ここに別紙の通り決議したり。
解説
朝鮮は 日清戦争(1894年-1895年)の清の敗北を受けて締結された下関条約により、朝鮮は清の冊封体制から離脱し、1897年(明治30年)朝鮮国から大韓帝国と国号を改めた。

答  大韓帝国 


問3 解説解答

問3(C)に当てはまる国名を記しなさい。

明治廿八年五月廿五日[印]

 朝鮮問題に就き、将来我が政府の執るべき政略は、速に決定するの必要あるに付、在東京内閣大臣ここに別紙の通り決議したり。

(別紙)

 日本国が( C ) 国に対し干戈を交へたるは、朝鮮をして彼の有害なりと認めたる(C )国の抑圧を脱せしんめんとの希望に起因す。

解説
干戈を交へたる:相戦う。交戦する。 明治時代に行われた戦争は日清戦争・日露戦争。
1894年(明治27年、光緒20年)、朝鮮国内の甲午農民戦争をきっかけに朝鮮に出兵した日清両国が8月1日宣戦布告にいたった。『清国ニ対スル宣戦ノ詔勅』では、朝鮮の独立と改革の推進、東洋全局の平和などが唱われた。

答   清


問4 解説解答

(D)に当てはまる条約名を記しなさい。
日本国が清国に対し干戈を交へたるは、朝鮮をして彼の有害なりと認めたる清国の抑圧を脱せしんめんとの希望に起因す。しかして該希望たるや、已に(D)の締結に依り、全くこれを達するを得たり。
解説

日清戦争後の講和会議における条約は下関条約。正式名称は日清講和条約。

講和条約の結果、日本は朝鮮の支配権を確保し、台湾を植民地として領有して南方進出の足場を築き、、遼東半島を中国進出の根拠として確保した。また。多額の賠償金の獲得によって、資本主義的発展と軍備拡張の財源を得、長年の悲願だった金本位制への復帰を遂げた。

答   下関条約
問5 解説解答
この時の内閣総理大臣の氏名を記しなさい。
解説
第2次伊藤内閣:1892年(明治25年)8月黒田清隆・山縣有朋という首相経験者の入閣を得て、伊藤博文は第2次伊藤内閣を組閣した(元勲内閣)。第2次伊藤内閣のもとで、日英通商航海条約締結による治外法権の撤廃に成功した。この直後に起きた甲午農民戦争(東学党の乱)への軍事介入を機に日清戦争が始まると、戦時体制を確立し、全権として清国と下関条約を締結した。だが三国干渉、続く乙未事変と露館播遷によって日本の朝鮮半島への影響力はむしろ低下し、1896年(明治29年)9月伊藤博文は辞任した。

答   伊藤博文

問6 解説解答

この時の外務大臣の氏名を記しなさい。
解説

第2次伊藤内閣の外務大臣陸奥宗光は、 明治27年(1894年)、イギリスとの間に日英通商航海条約を締結し、幕末以来の不平等条約である治外法権の撤廃に成功する。以後、アメリカ合衆国、ドイツ、イタリア、フランスなどとも同様に条約を改正した。陸奥が外務大臣の時代に、不平等条約を結んでいた15ヶ国すべてとの間で条約改正(治外法権の撤廃)を成し遂げた。一方、同年5月に朝鮮で甲午農民戦争が始まると清の出兵に対抗して派兵し日清戦争を開始した。日清戦争においてはイギリス、ロシアの中立化にも成功し陸奥外交とよばれた。勝利後は伊藤博文とともに全権として明治28年(1895年)、下関条約を調印し、戦争を日本にとって有利な条件で終結させた。しかし、ロシア、ドイツ、フランスの三国干渉に関しては、遼東半島を清に返還するもやむを得ないとの立場った。


答   陸奥宗光

問7 解説解答

下線a「将来我ガ政府ノ執ルベキ政略ハ、速ヤカニ決定スルノ必要アル」背景を120字以内で論述しなさい。
朝鮮問題に就き、将来我が政府の執るべき政略は、速に決定するの必要ある
解説
日清戦争前の対朝鮮状況
維新政府の朝鮮への進出は、清の朝鮮に対する宗主権を否定し、大陸進出の足場を築くことであった。日朝修好条規で朝鮮を開国させた日本は、1880年漢城に公使館を設置し貿易を拡大すると共に、内政改革を求める王妃閔氏一派を支持した。このため、これに反対する国王の実父大院君一派に指示される兵士や市民が、1882年閔氏の邸宅と共に日本公使館を襲撃した。この結果政権は大院君一派が握り、日清両国の出兵により対立が激化した。結局、日朝間に済物浦条約が成立した。それ以後、朝鮮における日清両国の対立は深まり、あわせてちょうせんないぶでも、清を宗主国と考える閔氏一派を中心とする事大党にたいし、改革をはかろうとする金玉均・朴泳孝らの独立党が台頭してきた。その頃民権運動と対立しながら、山県有朋を中心に軍備の拡張と軍政の改革を進め朝鮮進出の機会をねらっていた日本政府は、1884年に清仏戦争で清が敗北した機会に独立党が起こしたクーデターを支持した。しかし出兵してきた清国軍に敗れ、クーデターは失敗に終わった。このため、日清両国の衝突の危機が強まったので、1885年伊藤博文が天律に赴き李鴻章との間に天津条約を成立させた。しかし日本の商業資本の朝鮮進出は増大し、多量の米国などの農産物を買い占めた。そのため朝鮮政府は1889年凶作に際して穀物の輸出禁止を命ずる防穀令を発令したが、日本政府は朝鮮政府を圧迫して翌年これを撤廃させ、さらにこれによって日本人商人が損害を受けたとして賠償を要求した。

日清戦争後の朝鮮状況
1895年(明治28年)4月17日、 日清講和条約(下関条約)が調印されたた。しかし調印された日清講和条約の内容が明らかになると、ロシアは、日本への遼東半島割譲に反発しフランス・ドイツとともに、日本に対して清への遼東半島返還を要求した(三国干渉)。日本は、イギリスとアメリカが局外中立の立場をとったこともあり、遼東半島放棄を閣議決定し、5月5日干渉してきた三国に対し、遼東半島の放棄を伝えた。その結果、日清戦争後も朝鮮の隷属化を画策していた日本に対し、閔氏一派はクーデターによって朴泳孝らを追放して反日政権を樹立したが、これに対して三浦梧楼公使は、日本守備隊・警察・民間人を王宮に乱入させて閔妃を惨殺した。こうして日本はふたたび大院君を執政として日本の傀儡化を図ったが、この事件は朝鮮をますます日本から離反させ、各地に反日運動を勃発させる原因となった。そのため朝鮮国王は、1896年ロシア公使館に逃れて館内に親露政府を樹立し、親日派を追放してしまい、朝鮮において日本の孤立化が決定的となった。

答  下関条約により清は朝鮮に対する宗主権を否定し、日本は朝鮮の支配権を確保したが、アジア進出を目指す列強を刺激し三国干渉により遼東半島を返還せざるを得なかった。この結果朝鮮は日本から離反しロシアへの接近を強め朝鮮における日本の孤立化が進んだ。(119字)

問8 解説解答

下線部b「利害関係アル他ノ諸国」として、具体的に想定されている国名を4つ記しなさい。
日本国政府は、b利害関係ある他の諸国と協力して、朝鮮の事態を改善することを以て目的となすところの処置に協同
(諸外国と協同して朝鮮国の独立を維持し、朝鮮内政の改善の処置を協同して行う)
解説
朝鮮の事態:
閔妃惨殺後、日本はふたたび大院君を執政として日本の傀儡化を図ったが、この事件は朝鮮をますます日本から離反させ、各地に反日運動を勃発させる原因となった。そのため朝鮮国王は、1896年ロシア公使館に逃れて館内に親露政府を樹立し、親日派を追放した。

三国干渉によってロシアが朝鮮に干渉してくる意図があるのが明らかになったため、三国干渉の当事国(ロシア・フランス・ドイツ)を牽制するために表明すことした。よって 利害関係ある他の諸国として具体的に想定されている国は、ロシア・フランス・ドイツと三国干渉に中立宣言をだしたイギリス。

    ロシア・フランス・ドイツ・イギリス

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