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明治学院大学文学部2008年度世界史入試問題Ⅴ第二次世界~冷戦期のヨーロッパ情勢
明治学院大学文学部2008年度世界史入試問題Ⅴ第二次世界~冷戦期のヨーロッパ情勢設問
問2 諸民族の混住するバルカン半島は、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたが、この地域的性格は1990年代にも新しい紛争の背景となった。[C]の独立をきっかけとして始まった旧ユーゴスラヴィアの解体過程において、[D]の中心都市[い]が再び紛争の舞台となる[D]紛争が起こった。ただし、国際的な努力の結果、1995年ディトン合意が結ばれ、平和構築の努力が進められた。
問3 19世紀初頭以来、ヨーロッパの国際政治に関して、とくに紛争に巻き込まれないことをうたった[E]主義がアメリカ外交の原則方針だったが、第一次世界大戦で覆されることになった。ドイツはイギリスの海上封鎖に対抗するため[F]により無差別的な攻撃作戦を展開し、中立国の船舶をも巻き込んだ。そのため、戦需に潤っていたアメリカも被害を受け、対独戦を求める世論が高まった。
問4 敵国に無条件降伏を迫り、戦後は戦勝側が占領して体制改革を図るという方法は、伝統的なヨーロッパ国際政治の者ではなく、20正規以後のアメリカ主導の国際政治の特色である。第二次世界大戦末期、米英ソは1945年2月[G]会議でドイツの戦後処理構想を決め、同年7月に[H]会談で日本に無条件降伏を要求する宣言を出した。
問5 国際連盟は、その設立を提唱したアメリカ自体が加わらず、安全保障上の後ろ盾を持たなかった。イタリアでは、戦後[お]体制への不満からファシスト党が選挙で勝利してムッソリーニ政権となり、1924年ユーゴスラヴィアから[I]を奪い、1926年に[J]を保護国化し、1935年にはエチオピアに侵攻し、連盟を脱退した。
問6 上の文章の他の箇所で著者は、[K]の『西部戦線異状なし』の一節を引いている。「秋だ。旧い連中はもうたくさん残っていない。僕は、同じクラスから来た7人のうち最後の生き残りとなった」。これは、毒ガスを吸って野戦病院に横たわる若いドイツ兵士のことbである。1914年にドイツ軍は東部戦線のタンネンベルクでは勝利したが、西部戦線の[L]の戦いでは双方に多くの犠牲者と甚大な被害を出す塹壕戦となって、以後西部戦線は膠着状態に陥った。
問7 第一次世界大戦後のヨーロッパには、民族自決の原則に基づき新しい国々が独立したが、どの国も不安定性を抱えていた。ポーランドでは[M]がクーデターを起こして政権を握り、ハンガリーでは[N]が独裁政権を樹立した。
明治学院大学文学部2008年度世界史入試問題Ⅴ第二次世界~冷戦期のヨーロッパ情勢解答
問1解答解説
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問2解答解説
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問3解答解説
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問4解答解説
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問5解答解説
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問6解答解説
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問7解答解説
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うえおか解答
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