昭和女子大学日本史入試問題解説

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昭和女子大学文学部2010年度日本史入試問題研究 

昭和女子大学人間文化(日本語日本文,英語コミュニケーション,歴史文化,国際),生活科(環境デザイン,健康デザイン),人間社会(心理,福祉社会,現代教養,初等教育)過去問研究


2010年度昭和女子大学人間文化,生活科,人間社会 日本史入試問題は 

Ⅰ弥生~前近代の対外関係史 Ⅱ議院内閣制の前史 Ⅲ古代の史料問題 Ⅳ古代~中世の文化史の4題構成でした。

オールマークシートの解答形式。

今回はⅢの史料問題をを解説します。

2010年度日本史・古代の史料問題

問題

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史料A解説

十七条憲法:推古天皇12年(604年)4月3日に「夏四月 丙寅朔戊辰 皇太子親肇作憲法十七條(夏四月の丙寅の朔戊辰の日に、皇太子、親ら肇めて憲法十七條作る。)」17条からなる条文である。この皇太子は、聖徳太子を指す。

官僚や豪族に対する道徳的な規範を示したものである。儒教・仏教の思想が習合されており、法家・道教の影響も見られる。和の精神・天皇中心の国家体制樹立を強調したものである。


出典 『日本書紀』、『先代旧事本紀』

問1解説解答

史料(A)が載っている歴史書名を、次の①~④の中から選びなさい。

    ①「日本書紀」    ②「万葉集」    ③「続日本史」     ④「宋書」倭国伝
解説
 ①「日本書紀」  日本における伝存最古の正史で、六国史の第一にあたる。舎人親王らの撰で、養老4年(720年)に完成。神代から持統天皇の時代までを扱う。漢文・編年体をとる。全30巻、系図1巻。系図は逸失。 
 ②「万葉集」   7世紀後半から8世紀後半ころにかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集である。天皇、貴族から下級官人、防人などさまざまな身分の人間が詠んだ歌を4500首以上収録。成立は759年(天平宝字3)以後。
 ③「続日本史」    平安時代初期に編纂された勅撰史書で、『日本書紀』に続く六国史の第二に当たる。菅野真道らが延暦16年(797年)に完成した。文武天皇元年(697年)から桓武天皇の延暦10年(791年)まで95年間の歴史を扱い、全40巻から成る。編年体、漢文表記である。
 ④「宋書」倭国伝   「宋書」:中国南朝の宋の正史。宋・斉・梁に仕えた沈約が斉の武帝に命ぜられて編纂した。本紀10巻・列伝60巻・志30巻の計100巻からなる紀伝体。二十四史の一つ。
   倭国伝:日本については「夷蛮伝」の記述中に、倭の五王から朝貢が行われたことが記されている。

答    ① 


問2解説解答

解説
女帝の推古天皇の即位に伴い、用明天皇の皇子聖徳太子が摂政として政治を行った。この時期は、朝鮮半島の失地回復への努力が続けられ、国内では蘇我氏の勢力が大王家をしのぐほどにまでなっており、この状況下で、聖徳太子は蘇我馬子と協力して中央集権的国家体制をめざして政治改革を行った。① 蘇我馬子を排除しつつが正しくない。
答   ①

問3解説解答

問3 下線部(a)は仏教のことであるが日本に仏教を伝えるうえで主導的立場に立った中央豪族を、次の①~④から一つ選びなさい。
    ① 物部   ② 葛城   ③ 蘇我  ④ 大伴
解説
仏教公伝は「上宮聖徳法王帝説」と「元興寺伽藍縁起」は538年、「日本書紀」によると552年。 欽明天皇の治世、百済の聖明王からの使者が仏像や経典を携え日本にきた。仏教受容についての蘇我氏と物部の対立は用明天皇の死後の皇位継承問題と絡んで武力抗争のまで発展した。587年、仏教崇拝を認める蘇我稲目・馬子の軍事力の前に、「蕃神」として仏教を拒否した物部守屋・中臣勝海の軍政は敗れた。

答     ③

問4解説解答

解説
大化の改新以降の歴代天皇は
皇極→孝徳→斉明(皇極重祚)→天智→天武→持統
大化の改新  皇極天皇
壬申の乱 天智死後の皇位継承争い
八色の姓   天武天皇
藤原京へ遷都   持統天皇

答     ④

問5解答

空欄(ア)に入る地方豪族の役職名を、次の①~④から一つ選びなさい。
    ① 直   ② 国役  ③ 国造   ④ 県主
解説
原文    十二曰。国司国造。勿斂百姓。国非二君。民無兩主。率土兆民。以王為主。所任官司。皆是王臣。何敢與公。賦斂百姓。
読み下し  十二に曰わく、国司国造。百姓に斂めとることなかれ。国に二君なく、民に両主なし。率土の兆民は、王をもって主となす。任ずる所の官司はみなこれ王の臣なり。何ぞ公とともに百姓に賦斂せんや。

国造    大和朝廷が地域国家の王の系譜を引くものや有力豪族に与えた姓。
答       ③

史料B解説

解説
鹿子木(肥後国鹿子木荘)の事
一、当寺の相承は、開発領主沙弥寿妙嫡々相伝の次第なり。
一、寿妙の末流高方(中原高方。寿妙の孫)の時、権威を借らんがために、実政(当時の大宰大弐の藤原実政)を以つて領家と号し、年貢四百石を以つて割き分ち、高方は庄家領掌進退の預所職(現地を支配する荘官)となる。
一、実政の末流の願西(藤原隆通の法名)微力の間、国衙の乱妨を防がず。この故に願西、領家得分(領家の収益)二百石を以つて、高陽院内親王(鳥羽天皇の皇女)に寄進す。……これ則ち本家の始めなり。

鹿子木荘:平安時代から室町時代にかけて肥後国飽田郡にあった荘園。熊本市北部と、合志市の一部を荘域とする。1086年(応徳3)根本領主である沙弥寿妙の孫高方が、大宰大弐藤原実政にその所領を寄進したことに始まる。1139年(保延5)立券荘号。春宮大夫藤原公実、婿の大納言藤原経実と伝領したが、その子隆通の代に至り国司からたびたび干渉されたため、まず領家年貢400石中200石余を割いて高陽院内親王に寄進し庇護た。寄進地系荘園の代表例。

出典  東寺百合文書『鹿子木荘条々事書』

問6 解説解答
解説
自墾地系荘園(初期荘園):墾田永年私財法により土地公有の原則が否定されると、墾田を開発するための灌漑設備の技術と労働力を持つ権門勢家の開墾は急速にすすんだ。一方の小規模な班田農民の小規模な墾田や地方豪族が開いた墾田も貴族・寺社に買収されていった。こうして8世紀後半から9世紀にかけて、畿内およびその周辺に貴族・寺社などの大土地支配が成立し、これは初期荘園あるいは自墾地系荘園(墾田地系荘園)と呼ばれる。

寄進地系荘園:国衙機構の実質的運営者である在地官人や郡郷司は次第に在地領主化をすすめ、国司の収取賦課率の引き上げなどの恣意的な操作に対抗し、権門勢家に土地の寄進を行い、年貢納入などの義務は負うが土地の保証を受け、自分は荘官となって現地の支配を続けた、こうして11世紀後半以後成立した荘園を寄進地系荘園という。

答     ②

 

問7解説解答

解説
① 荘園領主:一般的には荘園支配の上層部に立つ本家・領家などを指す。
② 領家:10世紀後期から11世紀の頃、開発領主の多くは、国衙からの圧力を避けるため中央の有力貴族や有力寺社へ荘園を寄進することで、荘園の支配権・管理権を確保するようになった。このとき、寄進を受けた者が領家である。
③ 田堵: 9世紀~10世紀ごろ律令制の解体が進むにつれ百姓の中に他から田地を借りて耕作し、富を蓄積する富豪層が出現した。荘園・国衙領の田地経営をおこなった有力百姓層が田堵である。
④ 荘官:荘園領主(本所)から現地管理を委ねられた者の総称。開発領主が寄進先の荘園領主から荘官として荘園管理者の地位を保全されることもあれば、寄進を受けた荘園領主が自らの荘園支配を強めるために家臣を荘官に任命して現地へ派遣することもあった。
答    ②

問8解説解答

解説

法成寺:藤原道長によって創建された、摂関期最大級の寺院。1020年に阿弥陀堂の建築が始まり、2年後に堂舎が完成。京極御堂ともよばれた。なお、道長の日記とされている『御堂関白記』の「御堂」とは、この法成寺のことを指している。


答    ③

問9解説解答

解説
延久の荘園整理令:藤原頼通の関白在任時に口頭で摂関家領と称する違法荘園が諸国に出現し、そのために国務が滞っているとの報告を後三条天皇が受け、それがきっかけで違法荘園の整理を決めた。慈円の『愚管抄』 延久元年(1069年)に記録荘園券契所が設置された。
後三年の役:1083年から87年にかけて、奥羽の豪族清原氏内部の相続争いが発端でおきた戦乱。陸奥守として下向した源義家が清原清衡(=藤原清衡)とともに、清原家衡・武衡を金沢柵に下して平定した。これにより清衡は平泉における藤原三代の基をつくり、義家は東国に源氏の勢力基盤を築いた。

保元の乱:保元元年(1156年)に皇位継承問題や摂関家の内紛により朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分裂し、双方の武力衝突に至った政変。後白河天皇方についた武士として平清盛・源義朝らがいる。

答   ①


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