早稲田大学受験対策入試問題解説

早稲田大学受験指導はスペースONEのプロ家庭教師にお任せください。

ご依頼専用ダイヤル 0120-604-405
お問い合わせ(東京本部) 03-6868-6040
お問い合わせ(福岡校) 093-592-6658


お問い合わせメール
ws-spaceone

プロ家庭教師集団スペースONE

HOME

早稲田大学政経学部2010年度日本史入試問題研究 

早稲田大学政経学部過去問研究

2010年度早稲田大学政治経済学部日本史入試問題は マーク・記述併用の解答形式。出題内容はⅠ 近世史料(秀吉の朱印状)  Ⅱ 近世史料(新井白石日記) Ⅲ 近代史料(横山源之助) Ⅳ 現代(戦前)の史料問題 Ⅴ 現代(戦後)の史料問題でした。

全問近世以降の史料を中心とした問題構成です。

今回はⅠ 秀吉の朱印状を取り上げました。



2010年度日本史入試問題




早稲田大学入試問題解説・解答TOPに戻る

史料 解説

史料Ⅰ 解説


松前において、諸方より来たる船頭、商人等、夷人に対して地下人と同じく、非分の儀、申し懸けるべからず、ならびに船役の事、前々よりありきたれる如くこれを取るべし、自然この旨あい背く族(やから)これあるにおいては、きっと言上すべし、速やかにご誅罰加えらるべきもの也。
 文禄二年正月五日 朱印
                         蠣崎志摩守とのへ

文禄2(1593)正月2日蛎崎慶廣は、朝鮮役督励のため肥前名護屋滞陣中であった秀吉に謁見し、国政の章の下賜を願い出たのに対し、秀吉がこれを許し与えた朱印状。
 松前氏の蝦夷地における交易権を認め、商船、商人は松前氏の許可を得た者でなければ交易を認めないことと、松前氏の徴役権をみとめ、また、蝦夷人に対しても和人同様の待遇を与え、諸法度に背く者の処分を秀吉が委任するというものである。
 この朱印の交付によって慶廣は、事実上蝦夷地の支配者となり、慶廣は志摩守に任ぜられた。


史料Ⅱ 解説



天正20(1592)年 1月 19日 羽柴薩摩侍従(=嶋津家久)嶋津修理大夫入道(=島津義久)へ先年の島津義久の琉球「取次」によって琉球は島津氏与力とし「唐入=大陸侵攻」に出陣さすべき旨を命令。また島津忠辰(薩摩国出水城守将)に島津義弘と共に一国諸役を勤行させることを命令。詳細は細川藤孝・石田三成に伝達させる。出典『島津家文書』


問1~4 解答解説


答 1.ウ 2.イ 3. ア 4 ウ 

3.解説 :志 苔 館(しのりだて):上野国(群馬県)出身の小林重弘が南北朝時代の動乱期に津軽から蝦夷地に渡って築いた。
昭和43年に志苔館跡付近の道路工事をしていたところ、37万4千枚余もの渡来銭が発見された。渡来銭の下限が洪武通宝であることや、容器の甕から15世紀中頃に埋められたと推定される。日本海の商品流通圏に組み込まれ、津軽地方を支配する安東氏の下で活躍した小林氏の経済力を物語るものとみられている。


4.北海道を時代別に分けると、旧石器時代、縄文時代、続縄文時代、擦文時代、アイヌ文化時代となる。縄文時代以降、弥生時代に移行せずに独自の文化を築いた。


問5解答解説
解説

尚寧王:琉球王国第二尚氏王朝第7代目の国王。在位1589年 - 1620年。1609年(万暦37年、慶長14年)に薩摩藩の島津氏に侵攻され、降伏し、尚寧王は薩摩藩によって江戸に連行され、征夷大将軍の徳川秀忠に謁見、後に琉球に戻った。慶長18年(1613年)、薩摩藩に奄美諸島を割譲した。


答     ウ

問6解答解説

解説
唐入:文禄の役(1592年~1593年)慶長の役(1597年~1598年)
1591年8月、秀吉は「唐入り」を宣言し、1592年4月12日、小西行長率いる一番隊1万8700が釜山浦に上陸し文禄の戦役は開始した。文禄2年明・秀吉軍両者の戦線が行き詰まり、和平交渉が始められた。しかし和平交渉が決裂すると西国諸将に動員令が発せられ、慶長2年(1597年)進攻作戦が開始された。1598年8月秀吉が死去すると、戦争を継続する意義は失われ、ついに10月15日、秀吉の死は秘匿されたまま五大老による帰国命令が発令された。

 1607年(慶長12年)回答兼刷還使が江戸幕府に派遣され、日本側からの国書による回答(謝罪)と、日本に連れ去られた儒家、陶工などの捕虜の返還を求めた。この求めに対し、日本国内の朝鮮人捕虜のうち、儒家はほとんどが帰国した一方、陶工の多くが日本に留まった。

答 イ

問7解答解説

解説
松前氏の蝦夷地における交易権を認め、商船、商人は松前氏の許可を得た者でなければ交易を認めないことと、松前氏の徴役権をみとめ、また、蝦夷人に対しても和人同様の待遇を与え、諸法度に背く者の処分を秀吉が委任する。
答 ア

問8解答解説

8 史料(2)の文意として、適切なものはどれか。
 ア お前を琉球に加勢させることにしたので、琉球に協力せよ。
 イ 日中貿易を再開したいので、琉球への取り次ぎを頼む。
 ウ 琉球から攻められたら軍勢を派遣するので、速やかに通報せよ。
 エ 琉球をお前に加勢させるので、出陣に備えよ。
 オ 琉球を攻めることを許す。
解説
琉球を与力(=協力加勢)として、嶋津につけるので、大陸攻めの人員を集めさせ、出陣に備えよ。
答 ヱ

問9ー1.解答解説

1. 15世紀中期、下線部b(=諸方より来たる船頭・商人等)との交易に不満を持った下線部c(=夷人)が蜂起する事件が起こった。その指導者は誰か。
解説
1457年濃里(志海苔)の和人鍛冶屋と客であるアイヌ少年の間に起きた諍いをきっかけに、オシャマンベの首長コシャマインを中心としてアイヌが蜂起、和人を大いに苦しめたが、最終的には平定され、松前藩形成の元となった。
答 コシャマイン

問9ー2.解答解説

2.琉球が15世紀に統一される以前、この地域で勢力を競っていた豪族は何と呼ばれたか。漢字二字で答よ。
答 按司

問9ー3.解答解説

3.琉球における、史料(2)の時代に至るまでの人々の生活や思想を綴った歌謡集を何というか。
答 おもろそうし

早稲田大学入試問題解説・解答TOPに戻る


HOME

Copyright(c)2007All Rights Rserved.

このホームページのすべての文章の文責および著作権はプロ家庭教師集団SPACE ONEに属します。