2 (エ)年の己酉条約に基づき、(オの倭館に常駐する対馬宗氏の家臣を通じて、朝鮮からは(カ)、朝鮮人参が、対馬からは東南アジアの胡椒や薬剤、染料の蘇木、(キ)などが交易された。 |
(4) 空欄(エ)に当てはまる最も適切な年を、次から1つ選びなさい。① 1597 ② 1599 ③ 1602 ④ 1609 ⑤ 1616 ⑥
1633 |
(5) 空欄(オ)に当てはまる地域はどこか。地図上の最も適切な地域を、次の1つ選びなさい。①B②C③D④E⑤F⑥H |
(6) 空欄(カ)と(キ)に当てはまる語句の、もっとも適切な組合せを、次から1つ選びなさい。① カー米,木綿 キー銅,錫 ②カー米,木綿 キー金,銀 ③カー生糸,絹織物キー銅,錫④カー生糸,絹織物キー金,銀⑤カー米,砂糖 キー硫黄,書物 ⑥カー米,砂糖 キー金,銀 |
解説 |
己酉条約(慶長条約):豊太閤の高麗陣後も戦争状態にあった朝鮮との国交回復のため徳川家康は対馬の宗義智に交渉させた結果、1607年施設が来日し、翌年朝鮮と宗氏の間に己酉条約を結んだ。己酉条約締結に伴って豆毛浦倭館が現在の釜山広域市東区佐川洞付近に新設され、1647年には対馬藩が任命した館主が常駐するようになったが、交易の発展にともない豆毛浦倭館は手狭になり、交通も不便であったので、朝鮮側に再三移転要求を行い、1678年に草梁倭館へ引越しが行われた。 |
近世の倭館交易では日本側は銀、硫黄、金、その他南方物産を朝鮮側に輸出した。朝鮮側は朝鮮人参、トラ皮などの朝鮮産品も輸出したが、江戸時代前期の最大の輸出品は生糸、絹織物などの中国産品であった。当時、日本の絹は品質が劣り、高級衣料として中国絹が好まれたためである。
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答 (エ) ④ 1609年 (オ) ④ E釜山 (カ) ④ カー生糸,絹織物 キー金,銀 |