成蹊大学経済学部日本史入試問題解説

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成蹊大学経済学部2011年度入試問題研究 

成蹊大学経済学部日本史過去問研究

2011年度成蹊大学経済学部日本史入試問題は 1.日本と朝鮮半島の関係史  2.古代・近世の系図に関する問題  3.明治の経済誌  4.世界大戦期の外交史 の大問4題構成。

前近代の歴史に比重のかかった出題でした。解答形式はオールマークシート式でした。


今回は2.古代・近世の系図に関する問題 を解説します。




問題 2

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解説解答

問1  解説解答

解説
① (ア):天武天皇(大海皇子),天智天皇の同母弟。皇后は持統天皇。壬申の乱後、大海皇子は飛鳥浄御原宮で即位した。近江朝廷の大豪族が乱で衰えて強大な権力を持った天皇は、天皇を頂点とする身分秩序を立てるため八色の姓を定め、律令や国史を編纂する事業をはじめた。天皇が没したあと、天皇の構想は皇后によって実現され、持統天皇は飛鳥浄御原令を施行した。
②・③ (イ):聖武天皇,
④・⑤ (ウ):桓武天皇

答    

(B)問2 解説解答

解説
藤原不比等の死後、政治を主導する地位にあった長屋王は藤四子の陰謀によって自殺に追い込まれた(長屋王の変)。ついで藤四子が疫病で死亡した後、橘諸兄が、唐から帰った吉備真備や僧玄昉を重用して正解を主導した。これに対して不比等の孫の広嗣は、吉備真備や玄昉を除くことを目的に大宰府で挙兵したが、敗死した(藤原広嗣の乱)。
橘諸兄の失脚後、政権の座は藤原仲麻呂に移った。諸兄の子立橘奈良麻呂は、大仏建立にともなう人民の疲弊を理由に、仲麻呂打倒の陰謀をめぐらしたが、失敗して殺された(橘奈良麻呂の変)。
藤原仲麻呂(恵美押勝)は橘奈良麻呂の変後、権勢を強めたが、僧道鏡が孝謙上皇の信任を得て勢力を強めてきたので、仲麻呂は乱を起こしたが敗死した(藤原仲麻呂の乱)。

答   

(C)問3 解説解答

解説
仏像は 阿修羅像, 天平時代の仏像は、従来からの金銅・木像のほかに、加工が自由で写実に適した塑像・乾漆像も作られた。

興福寺は南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院であり、南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の氏寺である。

答    

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