成蹊大学経済学部日本史入試問題解説

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成蹊大学経済学部2011年度入試問題研究 

成蹊大学経済学部日本史過去問研究

2011年度成蹊大学経済学部日本史入試問題は 1.日本と朝鮮半島の関係史  2.古代・近世の系図に関する問題  3.明治の経済誌  4.世界大戦期の外交史 の大問4題構成。

前近代の歴史に比重のかかった出題でした。解答形式はオールマークシート式でした。


今回は2.古代・近世の系図に関する問題 を解説します。




問題 2

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解説解答

(C) 問7 解説解答

解説
キ: 徳川吉宗(8代将軍)   ク: 徳川家治(10代将軍)   ケ:徳川家斉(11代将軍)

南鐐二朱銀:田沼意次は商品経済を積極的に推進する政策を取ったので、幕府の財政支出は多くなった。そのため明和五匁銀,真鋳四文銭,南鐐二朱銀などの新貨幣を大量に鋳造し流通させた。とくに銀貨は、これまでの秤量貨幣としてではなく、表記貨幣として通用させた。南鐐二朱銀は明和9年9月(1772年)に田沼意次の命を受けた勘定奉行の川井久敬の建策により創鋳された。寛政の改革時に一旦鋳造禁止されたが、程なく発行が再開された。文政7年(1824年)には改鋳されてほぼ同質の新型の南鐐二朱銀が発行された。

答    ①

(C) 問8 解説解答

解説
将軍徳川家斉は、松平定信の老中辞職後、改革の反動による放漫な政治を行い、将軍職を家慶に譲ってからも、大御所として実権を握り続けた。おりから発生した天保の大飢饉もあって諸物価は高騰し、貧民が増加して百姓一揆や打ち壊しが激発した。さらに1837年、元大阪町奉行所与力であった大塩平八郎が「救民」の旗印を掲げて大阪で蜂起し(大塩の乱)、幕府や諸般に衝撃を与えた。乱はすぐに鎮圧されたが、影響は各地に及び、越後柏崎では国学者生田万が大塩の門弟と称して乱を起こした(生田万の乱)。1841年、大御所家斉の死後、老中水野忠邦は厳しい内外情勢に対処できる幕府権力を回復させるため、天保の改革に着手した。

答    ④

(C) 問9 解説解答

解説
18世紀後半、経済的な繁栄をみせた江戸に、文化の中心が移った。文芸では、歴史や伝説を素材とした読本、有利を舞台とした洒落本や風刺的な草双紙である黄表紙がさかんとなったが、黄表紙はその後合巻とよばれ、長編の絵双紙となった。滑稽本は下層町人の生活や遊びを描き、人情本は寛政の改革の取り締まりの対象となった洒落本が方向を変えた者で、町人の生活や恋愛をもっぱら描いて、いずれも愛読された。

『浮世風呂』:式亭三馬が書いた滑稽本である。文化6年(1809年)から文化10年(1810年)にかけて刊行された。内容は4編9冊に分けられ、初編・四編が男湯、二編・三編が女湯となっている。当時の庶民の生活を、浴場を舞台に描いたもので、当時の生活とともに、落語の話術を取り入れた会話の軽妙さと底辺の人々を描いてほのかな明るさをしめしている。

為永春水:天保年間に活躍した『春色梅児誉美』など人情本の代表作家。

答    ③

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