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解説 |
弘仁:810年から824年までの期間を指す。この時代の天皇は嵯峨天皇、淳和天皇。 |
貞観:859年から877年までの期間を指す。この時代の天皇は清和天皇、陽成天皇。 |
延喜:901年から923年までの期間を指す。この時代の天皇は醍醐天皇。
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徳政論争:805年(延暦24年)桓武天皇の勅により、藤原緒継と菅野真道との間で天下徳政の論争が行われ、緒継の主張が通って、蝦夷征討と造都は中止された。 |
伊治砦麻呂の乱:光仁朝政治の最大の危機は陸奥の蝦夷の反乱であった。776年(宝亀7年)に出羽国志波村の蝦夷が反乱したのを契機に、780年(宝亀11年)には伊治砦麻呂が按察使紀広純を殺害し多賀城に放火するなど、反乱は東北全域に波及した。→④⑤ |
阿衡の紛議:887年(仁和3年)11月21日、藤原基経の推薦により臣籍から皇太子、次いで天皇に即位した宇多天皇は、その即位に際して、基経を関白に任じる詔勅を出した。基経は先例により一旦辞退する。天皇は左大弁橘広相に命じて二度目の詔勅を出した。その詔勅に「宜しく阿衡の任をもって卿の任とせよ」との一文があった。文章博士藤原佐世が「阿衡は位貴くも、職掌なし」と基経に告げたことにより大問題となる。基経は一切の政務を放棄してしまい、そのため国政が渋滞する事態に陥る。広相はこれに反駁するが、翌年6月、天皇は先の詔勅を取り消して、広相を罷免した。 |
延喜格:貞観 11 (869) 年から延喜7 (907) 年まで 39年間の追加,補足の法令 (詔勅,官符,官奏類) を部類したもの。編者は左大臣藤原時平以下延べ
14人。全 12巻で,神祇格から雑格までの 10巻と臨時格2巻があった。 907年(延喜7年)完成。 |
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答 ⑤ |